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「緑のカーテン」歴、4年です
2011年08月19日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
これは私の家の2階の窓の景色。
「緑のカーテン」歴、4年です。
今年はゴーヤと昼顔を植えてみました。
ネットは麻ヒモで手作りしています。
毎朝水をやり、
ツルの伸びる方向を手作業で修正、
手塩にかけて育てたところ・・・
うまい具合に葉の隙間が埋まり、
光の差し込み加減も、いい感じになりました。
ツルが一番からみやすいのが麻なので、
毎年ホームセンターで麻ヒモを買い、
縦横の網の目状に、あちこち縛って、ネットを作ります。
それほど面倒な作業ではありません。
窓があまり大きくないため、
30分くらいで作れます。
なんと言っても、市販のネットよりも風情があります。
また、手作りすれば、形も自由に工夫できます。
そこも楽しいところです。
麻は丈夫なので、耐久性にも問題はありません。
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■ お知らせ ■
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
弊社編集部夏季休暇に合わせ、
当ブログは来週22日(月)~24日(水)まで
お休みをさせていただきます。
(20、21日=土日は通常どおりの休載日です)
よい夏をお過ごしください。
よろしくお願い申し上げます。
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私が聞いた鎌倉の怪談・明け方の切通しを駆ける自転車
2011年08月12日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
先週にひき続き、ある人から聞いた、
鎌倉の怪談です。
その人(飲み屋の店員さんです)は、ある夜、
北鎌倉の友人の家でお酒を飲み、
明け方、
まだ辺りが薄暗い頃、
自宅に帰ろうと、亀ヶ谷(かめがやつ)の切通しを
一人で歩いていたのだそうです。
ところで、
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
この「亀ヶ谷の切通し」(正式には「亀ヶ谷坂」だそうですが)
というところ、
大変な急坂です。
北鎌倉からのぼるその坂を
その人がやっと上りきり、
今度は扇ヶ谷へ(鎌倉市街地方面へ)、
ふたたび急坂を下り始めたとき・・・
前からのぼってくる自転車が見えたのだそうです。
語り手曰く、
「驚きました・・・!自転車はいわゆるママチャリです。
しかも漕いでいるのは年配の女性でした。
ところが、この人、何気ない普通の顔をしたまま、
普通のスピードで、坂をぐんぐんと上ってくるんです。
まさか・・・!と思って、すれ違うときに自転車を
確認しました」
しかし・・・
その自転車にはギアもなく、
もちろん、電動アシストのついたものでも
なかったのだそうです。
「その女性、そのままあっという間に
坂道をのぼりきって、北鎌倉方面に下って行きました。
唖然としました。
とても人間とは思えません・・・!」
この話、鎌倉の人なら、皆背筋がぞっとしてしまう、
とても怖い話なのです。
徒歩でも上り下りの大変なこの坂を
年配の女性が、
「ママチャリ」で、
無表情のままのぼっていくなんて・・・
私にも、
その人が生身の人間であるようには思えません。
亀ヶ谷の切通し(亀ヶ谷坂)は、
北鎌倉・建長寺の少し西側の辺りから、
浄光明寺などのある扇ヶ谷方面をつなげています。
私が聞いた鎌倉の怪談・店の窓は誰が開けた!?
2011年08月05日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
実は私は怖い話が結構好きなのですが、
今日は、
ある鎌倉の人に聞いたお話をご紹介します。
5年以上も前のことです。
鎌倉にあった24時間営業の某ファスト・フード店が、
突然、閉店しました。
「繁盛していたはずなのに、なぜ?」
と、私は不思議に思っていました。
その2~3ヶ月後のこと。
私はたまたま、
そのお店で閉店の直前までアルバイトをしていたという
若者に出会いました。
「なぜ閉店になってしまったの?」
と、気になっていたことを質問したところ、
その若者は楽しそうに・・・
「実は、夜中、誰もいないのに入り口の自動ドアが開く・・・
なんてことが日常的だったんですよ」
そのため、
「みんなすっかり気味悪がって、
夜中に働くアルバイターを集めにくくなっていたんです」
そして、決定的だったのは、
「お店の道路側に窓がたくさん並んでいたのを
覚えていますか?
あれは手動で開くんですが、ある夜中、
誰もいないのに、一斉に全部が開いたんです。
バン!
と、音が響いて、僕もびっくりしました。
仮にいたずらだとしたら、
何人もが、揃って同時に窓を開ける必要があるんです。
ですが、もちろんそんな人はどこにもいませんでした」
彼によれば、その事件があって、
「もう営業も限界だ・・・!」と、いうことになり、
お店はついに、
閉められたのだそうです。
私がその話に驚いていると、
「でも、僕はそんなに怖くなかったんですけどね。
店は明るかったし、
一人っきりで働いているわけじゃなかったし」
・・・とのこと。
彼はケロッとしていました。
気がつけば私の自宅に防災グッズが勢ぞろい・・・その訳は?
2011年07月29日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
東日本大震災のあと、
今後いつ起きるかわからない首都圏直下型大地震などの
災害に備え、
防災グッズや非常食の用意をされた方も多いと思います。
もちろん私も、「さっそく準備を・・・!」
と、考えました。
ところが、
あらためて家の中を見渡してみると・・・
すでに大体のものが、揃っていたのです。
なぜでしょうか?
答えは
「キャンプ用品」です。
これらはそのまま防災グッズとして、使えるのです。
テント、寝袋、毛布、ゴザ、
コンパクトな調理器具一式、組み立て式のテーブル、
炭、火起こし用の燃料、
ランタン、電池式の照明器具、
水を入れるタンク・・・。
キャンプには何年か前に行ったきりなのですが、
用具がすべて、
物置の中にありました。
ちなみに今後、
私がキャンプに行くことはなさそうです。
そのため、
これらはとっくの昔に捨てられていても
不思議はなかったのですが、
「なかなか物を捨てることができない」
のが私の性分です。
そのおかげでしょうか、
いざという時に役立ちそうなものが沢山残されていました。
食料も・・・ありました。
「コストコ」でまとめ買いした缶詰など、
保存の効くものがキッチンの棚に。
1週間くらいはなんとか食い繋いでいけそうな量です。
ほかには、
同じくコストコでまとめ買いしたガスボンベが1ダース。
缶飲料も2ダースほど。
冬に買った灯油も、
20リットルのタンクひとつ分が、やはり物置に
残されていました。
災害への準備とは特に関係なく、
普段からこうしたものをストックされているご家庭も、
最近は多いはずです。
さらには、
買ったままそのことを忘れてしまい、
また買ってしまった・・・というものもいくつか出てきました。
電池が合わせて数十個。
ミネラルウォーターが2リットル×2ダースです。
そして、
ロウソクも発見。
もう何年も前のこと。
結婚披露宴のキャンドルサービスで使った、
高さ60センチほどもある大きなものです。
先日の計画停電の際、このロウソクはさっそく活躍しています。
加えて、
いつかどこかでもらった、電池不要の
「手動発電式ラジオ兼懐中電灯」。
小庭の水まき用に貯めている水も、
外に少々。
但し・・・!
鎌倉は津波が心配な土地柄です。
津波でこれらがすべて流されてしまえば話はまったく別です。
しかし、幸いにしてそうならなければ・・・
私は自宅にあるものだけで、
1週間くらいは生き延びられそうです。
なお、食料以外のほとんどのものが、
建物から2メートルほど離れた物置の中にあることも、
ちょっと安心なところ。
たとえ家から火が出て全焼しても、
この物置だけは生き残ってくれるような気がするからです。
さて、
気がつけば自宅に防災グッズが勢ぞろい。
その訳は・・・?
物をため込みがちな、
私のルーズな性格にありました。
「鎌倉震災誌」 鎌倉を襲った8メートルの津波
2011年07月22日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
「鎌倉震災誌」という本があります。
昭和6年に当時の鎌倉町役場から発行されました。
いまも鎌倉の古本屋さんで見かけることがあります。
大正12年の関東大震災による鎌倉の被害と
復興について、
まとめられています。
関東大震災の震源地は相模湾でした。
震度は8クラスだったと言われており、
湾に面する鎌倉の全域は、一瞬のうちに壊滅しました。
当時、旧鎌倉市街は「鎌倉町」と呼ばれていました。
大船、腰越、深沢などの地域は、
まだこれに含まれてはいませんでした。
「鎌倉震災誌」によれば、
この鎌倉町の全戸数は4,183戸。そのうち、
全壊 1,455戸
半壊 1,549戸
埋没した家 8戸
津波による流失 113戸
地震直後の火災での全焼 443戸
ほぼ壊滅といっていい状況です。
死者は412名、重傷者は341名にのぼったそうです。
また、
相模湾沿岸を襲った津波の高さは5~8メートル。
鎌倉では8メートル程度になったと推定されています。
津波は熱海・伊東以南の沿岸を浸しつつ北上し、
小田原付近で東へ折れたのち、
鎌倉を襲ったと考えられています。
小田原・大磯などの被害は少なかったのですが、
鎌倉方面はそうでなく、
主に、
海抜の低い江ノ電の長谷~由比ヶ浜あたり、
さらに材木座あたりが、甚大な被害を受けました。
流失家屋は繰り返しますが、113戸。
少な目にも思えます。
実は当時、
このあたりには国道134号線もまだ無く、
砂浜と松林が広がる中、家自体が少なかったとのこと。
そのため、
この程度で済んだようです。
津波は2回にわたって来襲しました。
被害は1回目よりも2回目の方が
はるかに大きかったのだそうです。
海水が急激に沖へ引いたあと、
やがて、
黒褐色の大波が押し寄せてきた、といわれています。
こうした「鎌倉震災誌」などの記録を
当時の写真などのビジュアルもまじえて見ることができる
サイトもあります。
特に鎌倉にお住まいの皆様など、
よろしければぜひご覧になってみてください。
↓
http://www.kcn-net.org/oldnew/index.html
約500年前、
鎌倉大仏の大仏殿を倒壊させたのも、
大津波だったと言われています。
「鎌倉震災誌」は、
こうした被災の歴史をもつ鎌倉の防災を考える上で、
これからも
市民の宝でありつづけることでしょう。
■下記は、
上記のサイトからの抜粋です。
「鎌倉震災誌」に記された経験者の談話です。
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坂ノ下
稲瀬川付近で第2震のおよそ20分後、
海水は遠く引き去りはるか沖合に
黒光りした大波が大音響を立てていた。
その時砂浜には被災者が5、60名位づつ数個所に避難しており、
気がついた人々は辛うじて逃げ去った。
家屋や護岸が流された。
極楽寺
第2震の20分ほどのち、
海水は江の島の東端より三浦半島に向って
一直線を引いたと思われるあたりまで引き去っていた。
ところが見る見るうちに3m以上の大波が襲来し
由比ヶ浜方面に向ったが、その余波は極楽寺川にも浸入した。
再び海水は引き去り、夕方には500m位沖まで引いていた。
翌朝は潮が満ちていたが、砂浜は広がっていた。
極楽寺の人家はいずれも高所にあったためか、
ほとんど流されてはいなかった。
乱橋材木座
津波は最初、砂浜を没して岸壁に衝突し豆腐川に浸入したが、
急速に400m位沖合まで引き去った。
和歌江嶋が長く半島状に露出するとその約20分後再び来襲して、
豆腐川を中心として付近一帯の人家や岸壁を破壊した。
海水は補陀洛寺辺りまで浸入して電柱を没した。
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