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これまであたりまえだったことが、とてもありがたいと感じます
2011年03月25日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
大地震からの1週間は
鎌倉への観光客は激減しました。
東日本のどの観光地もそうだろうと思います。
観光客相手の飲食店などの売上も激減。
たいへんな思いをしています。
地元の知人たちは、
地元の知り合いのやっているお店に行って、
お金を落とすように気を配っていました。
私の働く銀座でも、
地震後の1週間は夜の居酒屋さんはかなり空いていました。
出社せずに自宅待機となっている人が多かったことや、
交通機関の心配もありましたが、
やはり、被災地のことを考えると
「飲む気になれない」
という方が、多かったことでしょう。
これはきっと首都圏中で起きていた現象なのでしょう。
被災地の報道に接すれば、
観光したり、
余暇を楽しんだり、
おいしいものを食べたり、飲んだり、
そういう気分にはなれないものです。
つい自粛をしがちです。
それが人情です。
しかし、その自粛によって、
経済的に困ってしまう人たちもいるのです。
「義援金を寄付したのでその分を節約」
という方もいるでしょう。
しかし、自粛が続けば、
日本経済全体が沈んでしまいます。
被害に遭わなかった人は、これまで通りに消費することも、
日本を立ちあがらせるためには必要なことなのですね。
ちなみに、
停電が飲食店をいっそう苦しめています。
停電中はお店を開けませんし、
仕込みの時間がぶつかる場合は、
ろうそくの火を頼りに、仕事をしているという
お店もあります。
電車が走っていること。
部屋に灯りがついていること。
あたたかいご飯が食べられること。
そして帰れる家があること。
これまであたりまえだったことが、
とてもありがたいと感じる、
今日この頃です。
私の大好きな鎌倉の喫茶店 「門」
2011年03月18日-----------------------------------
地震による被害にあわれた皆様、
ご家族ご親族、知人ご友人が被害にあわれた皆様へ
心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復興を祈っております。
オーナーズ・スタイル編集長 上田英貴
-----------------------------------
こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
今週は、
私の大好きな鎌倉の喫茶店、「門」を紹介します。
昔からあるお店です。
鎌倉に暮らし始める以前から、
この街に来れば、なんとなく立ち寄って、
コーヒーを飲んでいたお店です。
なんだか妙に落ち着くのです。
場所は簡単です。
小町通りを八幡宮方面に150メートルほど
進んだ左側にあります。
北鎌倉の駅前にも、もう一軒「門」がありますが、
オーナーさんは同じ。
そちらの方がお店は古いそうです。
私は一度だけ、行ったことがあります。
お店の名前の「門」は、
北鎌倉のお店が円覚寺の門前にあること、
さらに、
鎌倉を舞台とした夏目漱石の小説「門」からも
採られているとのこと。
私はこのことにうっかり気付いていませんでしたが、
夏目漱石のことをよくご存知の方ならば、
すぐに連想されるのかもしれません。
夏目漱石は明治27年、27歳のとき、
円覚寺の塔頭「帰源院」で参禅しています。
失恋で衰弱した心を癒すためだったとも言われています。
半月ほどの短い期間だったようですが、
明治・大正期の臨済宗の高僧である
管長・釈宗演のもとで、座禅を組んだのだそうです。
なお、釈宗演は、禅を世界に広めた一人として、
有名な人です。
漱石はその後、明治38年、
「吾輩は猫である」で作家としてデビュー。
明治43年、43歳のとき、
円覚寺での体験をもとに、小説「門」を書いています。
ちなみに、
喫茶店「門」の看板の「門」の字は、
昭和の名僧と言われ、
円覚寺の管長を長く続けられた故・朝比奈宗源禅師の
筆によるものなのだとか。
テレビの「水戸黄門」のタイトル文字も、
この朝比奈宗源禅師が書かれているのだそうです。
「門」の店内を見ると、壁には地元の画家さんなどの絵が掛けられ、
個展やグループ展が開かれるなどしています。
ここは画廊喫茶なのです。
それもあって、
地元の芸術家などが、よく打ち合わせなどに使うとのこと。
さらには、
私の家のご近所に住む、あるお洒落なおじいさまも、
「門」の常連。
散歩のついでに立ち寄ったり、
友達との溜まり場とされていたりするご様子です。
「門」は、
鎌倉に暮らす文化的な趣味やセンスをお持ちのシニア層が
集まる、
サロン的なお店でもあるようです。
門(もん)
鎌倉市小町2-2-18
年中無休
私の大好きな鎌倉の中華料理店 「鎌倉赤坂飯店」さん
2011年03月11日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
休日に中華料理が食べたくなると、
私は「鎌倉赤坂飯店」に足を向けます。
鎌倉駅方面からであれば、
小町通りにある漬物屋さんとせんべい屋さんの角を
右折。
若宮大路からであれば、
材木屋さんの角を左に曲がります。
そこに、「鎌倉赤坂飯店」さんがあります。
地元ではとても有名なお店です。
ですが、ガイドブックなどには一切登場しません。
掲載を断っているからです。
小さく、地味で、
お世辞にもきれいとは言いがたいお店ですが、
気高く、
崇高な、
ものすごい中華料理屋さんです。
およそ50年前に開店されたそうです。
料理人さんは、
その昔、
有名な東京の赤坂飯店で修行をされたそうで、
その名前をもらっているとのこと。
営業時間は12時~15時まで。
書き間違いではありません。
つまり、たったの3時間という短い営業時間です。
夜は営業していません。
15時の閉店に合わせ、
14時半頃までには店に入っていなければなりません。
火曜と水曜がお休みのようです。
席は今は8席のみ。
(昔はもうちょっとあったのですが減らしたようです)
テーブルが二つで4席、
カウンターが4席です。
12才未満入店不可です。
私はいつも13時半頃に行くのですが、
おおむね、
すでに、3~4人は並んでいます。
最近は休日の行列がだんだん長くなっているようにも
感じられます。
席が空くと、店に入り、
黙って席に着きます。
店内は基本的に静かです。
時には妙な緊張感に静まりかえっていることさえあります。
そして大事なルール。
この店では、聞かれるまで注文をしてはいけません。
先に声をかけると、
「ちょっと待っててください」と、無愛想に返されてしまいます。
この無愛想が、この店の特徴です。
ですが、決して不愉快ではないのです。
なぜなら、
「美味しい料理を作ることに全神経を集中させている」
ということが、
料理人の動きから、
ひしひしと伝わってくるからです。
(もちろん最低限の気づかいはありますが)
ちなみにお店の人は、
料理人の、ご老人とその息子さん、
そしてご老人の奥様(おばあさま)の3人です。
最近はおばあさまが体調を崩されて、
料理人の二人だけで営業して
いらっしゃいます。
とにかく美味しい料理を作ることが最優先。
そのため、この店では、
調理の合間を縫って、客の注文を聞くのです。
ですので、
タイミングの合わないときなど、けっこう長く、
じっと、
注文をとってくれるのを待つことになります。
そしていよいよ何にしましょうと聞かれたとき、
客は、
メニューに書かれている番号を告げます。
たとえば「ラーメン」ではなく、
「1番お願いします」
などと言います。
これもルールです。
但し、
餃子、ビールなどは、
さすがに番号で告げなくてもいいようです。
お客さんのほとんどが常連さんです。
ですので皆、こうしたルールを心得ています。
たまに、事情を知らない一見さんが来て、
戸惑っています。
怒って帰ってしまう人も、中にはいるのだそうです。
カウンターで料理を待っている間、
目の前の料理人の無駄のない動きに、
私はいつも
見とれてしまいます。
熟練したその姿、真剣なまなざしは、
「美しい」
と、言っても過言ではありません。
まさに料理職人といった印象です。
惜しくもテーブル席についた場合は、
料理を作る美味しそうな音に黙って聞き入るのが
いいでしょう。
私のお薦めは、
白鶏麺(蒸し鶏付き塩そば)
坦々麺
排骨麺
餃子
五目焼めし・・・
いやいや、みんな美味しいので、どれもお薦めです。
値段は高めですが、
すばらしい味と丁寧な仕事ぶりを考えれば、
誰もが納得の一軒でしょう。
食べ終わったら、長居はしません。
すぐに店を出ます。
そういうお店なのです。
私にとっては最高のお店です。
料理人のおじいさま(お父さん)、
かなりのご高齢とお察ししますが、
いつまでもお元気で。
続・鎌倉のうなぎ屋「つるや」さん 田中絹代さんが愛した店
2011年03月04日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
先週金曜日、私の大好きな鎌倉のうなぎ屋「つるや」さんを
紹介しました。
関連して、もう少しお話を続けます。
田中絹代さんのことです。
この「つるや」さんを愛した人のひとりとして、
前回も、
その名前を記しました。
とても有名な方ですが、
残念ながら私には、「リアルタイム」での記憶がないので、
ちょっと調べてみました。
田中絹代さん----------------
1909年(明治42年)生まれ。
昭和初期の日本映画の黎明期から大活躍した、
日本映画史を代表する大女優さん
1938年(昭和13年)に公開され、
上原謙さんと共演した『愛染かつら』が空前の大ヒット
1970年(昭和45年)紫綬褒章を受章
1974年(昭和49年)に主演した
『サンダカン八番娼館 望郷』の演技が
世界でも高く評価され、
ベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)を受賞
出演した映画が世界三大映画祭
(カンヌ・ヴェネツィア・ベルリン)の全てを受賞
・西鶴一代女(ヴェネツィア国際映画祭国際賞)
・雨月物語(ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞)
・煙突の見える場所(ベルリン国際映画祭国際平和賞)
・山椒大夫(ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞)
・おとうと(カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会表彰)
・サンダカン八番娼館 望郷(ベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞))
1977年(昭和52年)肺癌が転移し脳腫瘍のため67歳で逝去
---------------------------
お墓は鎌倉の円覚寺と出生地の山口県下関市に
あるそうです。
孤独だったと言われている晩年、
逗子市の鎌倉に隣接するあたりに住んでいた
田中絹代さんは、
毎週、
月曜日の11時頃に「つるや」さんに来て、
同じうな重を食べ、
ひととき、女主人とおしゃべりを楽しんで、
帰っていったそうです。
これが散歩を兼ねた習慣だったとのことで、
癌で入院するまで続いたそうです。
そして、亡くなる1週間前、
入院先の看護婦長さんとともに、
目黒の病院からタクシーを飛ばして、
うな重を食べに来たのだとか。
田中絹代さんにとって、
「つるや」さんは、
本当に特別なお店だったのでしょう。
そんな「つるや」さんは、
肩ひじの張らない、小さなお店です。
田中絹代さんの映画などに
思い出のある皆さんも、
よかったら、ぜひ鎌倉へ。
つるや (うなぎ)
TEL 0467-22-0727
住所 神奈川県鎌倉市由比ガ浜3-3-27
JR鎌倉駅から徒歩15分くらい
江ノ電の和田塚駅からは徒歩1~2分
営業時間 11:30~19:30
定休日 火曜日
私の大好きな鎌倉のうなぎ屋 「つるや」さん
2011年02月25日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
休日の昼過ぎ、
急にうなぎを食べたくなることがあります。
そんな時は、決まっています。
鎌倉由比ヶ浜通りの「つるや」さんに電話します。
「2階の席空いてますか?」
私の場合、
5回に1回くらいしか、予約が取れません。
休日、しかも当日なので、やむなしです。
平日がどんな様子かはよく知らないのですが、
最近の「つるや」さんは、ますます人気集中とのこと。
それでも1階のテーブル席ならば、
空いていることも少なくないのですが、
私は雰囲気の落ち着いた2階の座敷が大好きなのです。
2階の予約が運良く取れると、
喜んでお店に向かいます。
あえてゆっくり歩きます。
30分くらいはいつもかかります。
そして、注文は、事前に決まっていたとしても、
お店に着いてから。
お店側には申し訳ないのですが、
なるべく到着してから、うなぎを注文することにしています。
そうすると、お店の方では、
注文が入ってからうなぎをさばくので、
出てくるまで40分は
待たされます。
この待ち時間が、私にとっては逆にいいのです。
ビールを傾けながら、
柳川鍋などをつまみます。
休日の午後、のんびりと、
大好きなうなぎを待つわけです。
ちなみに、
お昼ご飯のピークである12~13時以外の時間帯の場合、
上記のような、
「5回に1回」の確率を乗り切って、
やっと予約が取れた日でも、
つるやさんの2階は、
行ってみると、
おおむね、がらんとしています。
なぜでしょうか。
うなぎをさばく時間、
さらにはお客さんにゆっくりとくつろいでもらうことを考え、
おそらくは、
ひとつの席あたり、
2時間ごとにひと組くらいの予約しか入れていないのでは
ないか・・・
と、私は推察しています。
つるやは、
田中絹代や川端康成など、
鎌倉ゆかりの文化人が愛した店としても有名です。
昭和4年の創業。
うな重を入れる重箱には、鎌倉彫を使っています。
創業以来、何度も何度も漆が塗り直され、
使い込まれ続けているとか。
とてもいい趣を出しています。
うなぎは浜名湖から届けられ、
到着すると、
このつるやさんの井戸の水に1週間さらされるのだそうです。
余分な脂が落ち、身がひき締まるとのことです。
また、噂では、
「店が海に近いので、井戸水の塩分濃度がやや高めで、
それがつるやのうなぎのうまさの一因になっている・・・」
のだとか。
やがて約40分。
ビールが体にまわった丁度よい頃に、
いよいよ、うな重がやってきます。
蓋を開けると、
湯気がふんわりと立ち上がります。
ふっくらとした焼きあがりのうなぎは、
焼き加減も蒸し加減も絶妙。
ほかに言いようがありません。
私はさっそく、山椒の粉をふりかけて、
いただきます。
創業以来、継ぎ足し続けているというタレは、
やや辛口で、
繊細です。
上品であっさりしています。
この控え目なタレが、うなぎの美味しさをより引き立てています。
なので、
しっかりとした重いタレや、
甘口でまったりとしたタレが好きな方には、
やや不満が残るかもしれません。
知人の中にも、
「つるやのタレはもの足りない」といううなぎ好きが、
何人かいることは確かです。
しかし、
私はちがいます。
絶対的な「つるや支持派」で、押し通してきました。
そんな折、つるやさんが
ミシュランの星ひとつを獲得されました。
嬉しいのと同時に、私はほっとしています。
うな重は、2500円から~500円刻み。
値段による違いは、
うなぎの大きさだけだそうです。
つるやさん、
これからも、よろしくおねがいします。
つるや (うなぎ)
TEL 0467-22-0727
住所 神奈川県鎌倉市由比ガ浜3-3-27
JR鎌倉駅から徒歩15分くらい
江ノ電の和田塚駅からは徒歩1~2分
営業時間 11:30~19:30
定休日 火曜日