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オバマ大統領も訪れた鎌倉大仏は謎だらけ
2011年01月14日こんにちは。
オーナーズ・スタイル編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
昨年の11月、
横浜でAPECの首脳会議が開かれました。
その帰り、オバマ大統領が訪ね、
抹茶アイスクリームを食べた場所が、
鎌倉・長谷の高徳院です。
大仏が鎮座する、
言わずと知れた鎌倉を代表する観光スポットです。
この有名な鎌倉の大仏ですが、
完成以来、
大がかりな修復はされていないといいます。
ほぼ、鎌倉時代のままなのだそうです。
しかし、実は、
それら以外はわからないことだらけ。
謎だらけの大仏だということを
ご存知でしょうか?
造られたのは、13世紀のこととされています。
当時の最高の鋳造技術を駆使し、
莫大な費用をかけて造られたであろうにもかかわらず、
記録がとても少なく、
誰がつくったのか・・・?など、
すべてが、「説」までにとどまっています。
「吾妻鏡」、「東関紀行」、「太平記」などの資料を
総合すると、
大仏造立から今日に至るまでの歩みについては、
以下の「説」が有力なのだそうです。
・浄光という僧侶が諸国を勧進して浄財を集めて歩き、
1238年から大仏殿の建立が始められ、
5年後の1243年に大仏の開眼供養が行われた。
・この時、造られた大仏は木造であった。
・4年後の1247年にこの大仏は暴風雨で倒壊。
・5年後の1252年にあらためて今の大仏が造られ始めた。
・その後、大仏殿は1335年と1369年の台風で倒壊。
二度再建されたものの、1495年の大津波で押し流され、
それ以降は再建されず、
大仏は現在のような露座となって、515年程が経過した。
以上のとおり、
最初の大仏造立・大仏殿建立のための勧進は
浄光という僧が行なったといわれていますが、
この浄光がどんな人だったのか、
記録は残っていません。
国家プロジェクトだったと考えてもおかしくはない
この大事業が、
さほど有名でもない一僧侶の力でなされたと考えるのも、
やや難しいところです。
当時は、鎌倉幕府三代執権北条泰時の時代でした。
彼が莫大な援助をしたような記録はありません。
鎌倉幕府の公式記録書である「吾妻鏡」には、
大仏造立の開始について記述があるだけで
完成については何も記述がありません。
幕府と浄光の関係、大仏を造った目的など、
まったくわかっていないのが実情です。
そもそもの発案者は源頼朝だったという説もあるそうです。
奈良の大仏を見た頼朝が、
鎌倉にも巨大な仏像を造ろうと考えたことが発端で、
それが北条泰時の時代にやっと実現したのだといいます。
しかし、これも一説にすぎません。
鎌倉の大仏は、一体誰が造ったのでしょうか。
大仏だけではありません。
高徳院自体も、いつ、誰が、何の目的で作ったのかが
わからないお寺なのです。
開山、開基は不明。
創建の事情も定かではありません。
初めは真言宗で、のち臨済宗に属し、建長寺の末寺に。
江戸時代には江戸・増上寺の祐天上人が再興して
浄土宗に属し、
材木座の光明寺の末寺に。
「高徳院」という名前になったのはその頃と言われています。
そして、
鎌倉の大仏をもともと管理していたのが
今の高徳院でないことだけは、確実のようです。
つまり、鎌倉の大仏は初期の頃、一体だれが管理して
いたのか・・・
これも、よくわかっていないのです。
ところで、与謝野晶子が鎌倉の大仏を詠った有名な
短歌があります。
「鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は
美男におわす 夏木立かな」
ご存知の方も多いと思います。
境内には歌碑もあります。
しかし、鎌倉大仏は実際には「阿弥陀如来」です。
「釈迦牟尼」というのは与謝野晶子の間違いです。
間違っているのに、境内に歌碑があります。
高徳院さんの懐の深さを感じます。
1月15日は鶴岡八幡宮で「左義長」を楽しむ
2011年01月07日こんにちは。
オーナーズ・スタイル編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
左義長(さぎちょう)をご存知ですか。
一般には、トンド焼き、ドンドン焼きなどと呼ばれる
民間行事です。
鎌倉の鶴岡八幡宮では、毎年1月15日の午前7時に、
源平池のほとりで神事として行われます。
今年の1月15日は土曜日なので、
私はいつもより少し早起きして、見に行く予定です。
以前、15日は成人の日で、休日でした。
しかし、15日でなくなってからは、
平日に当たる場合が多くなったこともあり、
私は一度も八幡宮の左義長を見たことがないのです。
ですので、とても楽しみです。
左義長では、お正月の注連飾りや門松、
古いお札(ふだ)などが
積み上げられ、
「浄火」で「お焚きあげ」されます。
元々は、正月に立てた門松を焼いて、
これを「送り火」とするための習慣だったといわれています。
誰を送るのでしょうか。
それは神様です。
正月、我々の元へ幸福をもたらすために訪れる神様は、
門松を目標にして、各々の家にやってくるとのこと。
その神様を小正月(旧暦1月15日)に、
送り返す際、
焚く送り火が、左義長の習慣になったとの説が有力です。
神様は、「歳神様」といわれるものだったり、
ご先祖様だったり、
道祖神だったりと、
その解釈は、地方ごとに多様なようです。
この左義長の浄火で、
餅や団子を焼いて食べ、無病息災を願ったり、
火に暖まることで健康や若返りを祈ったり、
書き初めを焼いて、
字が上手くなることを願ったり、
あるいはその灰の舞い上る高さを見て、上達を占ったりと、
先人達は様々な想いや願いを
この行事に込めてきたようです。
燃えさしの松の木片を家の虫除けとする風習も
昔はあったそうです。
以前は日本中で行われていたこの左義長ですが、
今はだんだん少なくなっています。
鎌倉でも、もう数箇所でしか行われないようです。
ちなみに、鶴岡八幡宮以外では、
大町の八雲神社のものがとても有名です。
地元の人々が集まり、盛り上がります。
ほかには、材木座の五所神社、
二階堂の鎌倉宮といったところでしょうか。
ご興味があれば、鎌倉市観光協会のサイトで、
行事案内を探してみてください。
↓
http://www.kcn-net.org/kamakura/
もしも掲載が無ければ、協会へお電話で尋ねられると
いいでしょう。
(電話番号は上記サイトに掲載されています)
わりと最近、
大船あたりのどこかで、
火事の心配があるからとの理由で、
中止になってしまったという話も聞きました。
季節の風物詩、
なるべく永く残ってほしいものです。
鎌倉で進む高齢化、将来人口も大幅に減少?
2010年12月24日こんにちは。
オーナーズ・スタイル編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
ここしばらく、鎌倉の賃料相場、
ユニークな不動産、
土地にまつわるちょっと怖い話、
などを続けさせていただきました。
今週は、そんな鎌倉の町に暮らす人々の将来についてです。
ご高齢の方の多い町です。
ご近所を見渡しただけでも、明らかにそれを感じます。
調べてみると、2010年時点の65歳以上人口の割合は、
全国は23%、お隣横浜市20%
鎌倉は、28%です。
また、市の全人口を見ると、
2010年時点では、約17.1万人。
それが今後、どんどん減少を続け、
2035年には、
14.7万人になると推計されています。
つまり今後25年間で、約14%も人口が減る予測です。
このように、高齢化が進みながら、
人口を減らしていく鎌倉・・・
2035年の人口構造は、
65歳以上が 約4割
20~64歳が 約5割
未成年者が 約1割
と、いった様子になりそうです。
この間、子供(未成年者)の数は、
約2万6000人から1万7000人ほどへ、
なんと、
1万人近くも減ってしまいます。
そして、
約4割を占める65歳以上に、
私も多分、暮らし続けていれば、
入っていることになるわけです。
普通に考えれば、賃貸経営、地価といった観点から見ると、
将来はかなりきびしくなっていきそうです。
そして、もちろんですがこれらは、
鎌倉だけでなく、
多くの日本の各地域でも予想される、
将来の姿です。
しかし鎌倉は人気の観光地。
特に東京や神奈川のあちこちからシニア層が
たくさん遊びに来てくれています。
東京まで電車で1時間ですし、
住みたいと思っている人もたくさんいます。
ですから私は、高齢化社会の進展とともに、
鎌倉人気が上昇して、移住者も増えていくのではないか、
人口は減らないのではないか、とも思っているのですが・・・。
(参考:国立社会保障・人口問題研究所
「『日本の市区町村別将来推計人口』
(平成20年12月推計)について」)
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■ お知らせ ■
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
弊社年末年始休暇に合わせ、
当ブログは来週27日(月)より、1月3日(月)まで
お休みとさせていただきます。
(12月25、26日は通常どおりの土・日休載日です)
どうぞよいお年をお迎えください。
よろしくお願い申し上げます。
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今年の鎌倉の紅葉は例年より早くてキレイでした
2010年12月17日こんにちは。
オーナーズ・スタイル編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
鎌倉の紅葉は、今年は、例年よりも、
私の感覚では10日から2週間、早かったようです。
急に寒くなったせいなのか、
昨年よりも、色が鮮やかです。
円覚寺の門辺りの紅葉を
通勤途中、
毎日電車の窓から見て、変化を楽しんでいました。
あちこちのお寺のサザンカも、
例年より早く咲いたように感じます。
わが家の室内のモミジもキレイでした。
紅葉だけではありません。
庭の柚子も、
例年より10日から2週間早く、黄色くなりました。
今年も豊作です。
去年より実の数は少し少な目ですが、
肥料をこれまでよりも多くあげたせいか、
ひとつひとつの粒が大きく、元気そうです。
今年は、昨年失敗した柚子コショウ作りに
再挑戦する予定です。
前回は、柚子の皮のむき方と、青唐辛子の量で、
失敗しました。
成功しましたら、このブログで、ご報告します。
赤と黄色の千両もキレイです。
庭に植えてから2年目でやっと実をつけました。
小ぶりのシクラメンの花を買って、玄関脇を飾っています。
シクラメンは、冬の間、
長く咲いていてくれるので助かります。
12月18日は長谷寺の「歳の市」で年の瀬を楽しむ
2010年12月10日こんにちは。
オーナーズ・スタイル編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
長谷寺の「歳の市」の時期が近づくと、
「もう年の瀬だな」と、実感します。
鎌倉の長谷にある、
木造では日本一大きい十一面観音や、
季節ごとのさまざまな花で有名な長谷寺です。
毎月18日は観音様の縁日ですが、
一年を締めくくる師走のその日に、
参道で「歳の市」が開催されます。
露店が立ち並び、
だるまや熊手、神棚や注連飾りなど、
正月を迎えるための縁起物が売られます。
特に、夕暮れ時に行くと、
昔ながらの年の瀬の雰囲気を楽しむことができます。
以前はもっと店が多かったそうですが、
最近は数軒・・・と、ややすたれ気味です。
ただ、最近とは言っても、
もうはっきり思い出せないくらいの昔に、
私は一度だけ行ったきりです。
東京で働く私は、12月18日が平日に当たると、
この「歳の市」を観に行くことが出来ないのです。
ですので、実際には、
このごろの様子はよくわかりません。
そこで、前回の訪問以来、
ずっと私は、
18日が土・日に当たる年を待ち焦がれていました。
そしてついに今年、18日が土曜日なのです。
とても楽しみです。
昔は、八幡宮や大船のお寺でも開かれていたそうです。
しかし、今は、
ここが鎌倉で唯一残っている歳の市とのこと。
私の実感ですが、市内に住んでいる人でさえ、
存在を知らないことが多いのではないでしょうか。
鎌倉市や観光協会も、
もっとPRに力を入れるべきなのでしょうね。
年の瀬の風物詩、
いつまでも残ってほしいものです。