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清水の舞台・静の舞の舞台
2010年08月26日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田英貴です。
木曜日は「雑学いろいろコラム」です。
勇気をもって物事を決断することを
「清水の舞台から飛び降りるつもりで・・・」
と、よく言います。
(若者は知らない常套句かもしれません)
清水の舞台とは、多くの皆さんがご存知ですが、
京都にある清水寺の本堂に付属する舞台を指します。
山の斜面からせり出すように建物が建っていて、
多くの長い柱がそれを支えています。
「懸造(かけづくり)」、あるいは「舞台造」とよばれる様式です。
この清水の舞台から、本当に飛び降りてしまう人が、
昔は結構いたそうです。
「飛び降りて助かれば願いがかなう。死んでも成仏できる」
という信仰が、江戸時代、庶民の間に広がり、
記録によれば、
未遂も含め234件の飛び降り事件が起きているとのこと。
但し、記録のひろえない時期もあるため、
推定されるところ、江戸時代全体では400件を超えるだろうと
いわれています。
なお、飛び降りた人の生存率は85.4%だそう。
意外に多くの人が助かった様子です。
彼らの願いは叶ったのでしょうか。
清水の舞台の高さは、13メートルです。
西の有名な舞台が清水の舞台ならば、
東では、鎌倉・鶴岡八幡宮の「舞殿」が、
それにあたるでしょうか。
春の鎌倉祭りでは、ここで「静の舞」が演じられます。
源頼朝の怒りを買った弟・義経が姿をくらましたあと、
愛妾静は捕らえられ、鎌倉へ連れてこられます。
文治2年(1186)、頼朝は妻政子とともに鶴岡八幡宮を参拝、
その折、境内若宮回廊で、静に舞を命じました。
その際、静が、幕府への謀反人である義経を慕う歌をうたい、
舞った話はよく知られています。
怒った頼朝に対し、政子が、
「私のあなたに対する気持ちも同じようなものでした」
などと言ってとりなしたというお話が、
「吾妻鏡」にあることもよく知られています。
舞殿は、静が舞った回廊の跡地に、のちに建てられたものです。
史上最悪の誤植!
2010年08月19日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田英貴です。
木曜日は「雑学いろいろコラム」です。
先月、
サッカー・ワールドカップの話題で日本中が盛り上がっていた頃、
ある事件がおきていました。
7月1日のことです。
青森県八戸市を中心に発行されている新聞、
「デーリー東北」
の朝刊紙面で、大きなミスが起こっていました。
ワールドカップ・日本代表チームの監督・岡田武史さんについて、
「岡田監督」ではなく、
「岡田首相」と記載し、新聞を印刷してしまったのです。
「岡田監督 退任の意向」
とすべきところ、
「岡田首相 退任の意向」となっていました。
新聞はそのまま、購入世帯の半分ほどに、
配達されてしまったのだそうです。
普段の時期ならばまだよかったのでしょうが、
その前月、菅直人新首相が就任したばかりでした。
新聞社側では、急遽、誤植を訂正した「デーリー東北」を
新たに印刷。
配達し直したということです。
私も「オーナーズ・スタイル」という出版物を
皆さんのもとにお届けする立場にあります。
デーリー東北新聞社の懸命な対応に感心する一方、
身の引き締まる一件でした。
ところで、
「史上最悪の誤植」
として、よく話題になるのが、
アメリカ・ヴァージニア州の新聞社、
ワレントン・フォーキー・デモクラット社の事件です。
詳しい出所を知らないのですが、
インターネット上などで、よく「トリビア(雑学的知識)」として、
採り上げられているのを見かけます。
同社はこんなミスプリントをしたそうです。
「緊急訂正――
弊社の新刊本『やさしいスカイダイビング』に誤りがありました。
8ページ7行目の
『郵便番号を告げる(State zip code)』
とあるところを
『開き綱を引く(Pull rip cord)』に訂正してください」
お盆についての色々
2010年08月05日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田英貴です。
木曜日は「雑学いろいろコラム」です。
そろそろお盆の時期です。
多くの企業が夏休みをとり、
沢山の人が帰省します。
帰省先ではお墓参りをする人も多いことでしょう。
お盆のことは、日本人なら誰もが知っていますが、
よく調べると、とても由来の複雑な行事です。
名前の元は、サンスクリット語(古代のインドで使われた言葉)
の「ウランバナ」であるとの説が一般的です。
ウランバナには、「逆さに吊られる」意味があるとされています。
この言葉が中国に伝わっていくつかの漢字が当てられ、
そのうち、「盂蘭盆」とされたものが、
日本に定着したようです。
「逆さ吊り」と、行事との関係はあまりはっきりしませんが、
元々、古代インドでは、
雨季の頃、仏教の修行者は一箇所に定住して
修行に明け暮れ、移動を慎んだようです。
その定住修行の期間が明けると、周りの人々は、
僧たちに飲食を施しました。
それは、これから旅の修行に出かけようとする彼らに
体力をつけさせてあげるための、
特別な内容のものであったかもしれません。
やがて、仏教が中国に伝わり、年月を経ていくと、
飲食を施す相手が、
実在の僧から、そうではない「餓鬼」に変わっていったようです。
餓鬼とは、生前の行いがよくなかったために、
死後、餓鬼道という世界に落ち、
飢えに苦しんでいる人びとのことです。
有名な「盂蘭盆経」では、釈迦のお弟子さんの一人で、
目連という人のお母さんが、餓鬼道に落ち、
それを目連が救う話が描かれます。
この話は日本にも深く伝わりました。
お盆の行事の中に「施餓鬼」(餓鬼にほどこす)という
一連の儀式が含まれていることがあるのは、
このためです。
餓鬼だけではありません。
儒教的な風習にもとづく先祖供養も、ここに加わりました。
中国では、もともと古くから、旧暦7月15日を
先祖を供養し、祭る日としていたようです。
仏教の方でも、施餓鬼を中心とする法要の日として、
この日を取り込んでいったようです。
あるいは、逆に、取り込まれたのでしょうか。
「盂蘭盆経」も、よく考えれば、儒教的な親孝行の話です。
このお経は、インド古来のものではなく、
実は中国でつくられたという説が有力です。
ともあれ、
こうしてインドの仏教と中国文化が、融合していきました。
さらに、道教もここに参加しています。
俗に、日本では、
「お盆には地獄の釜のふたが開く」
と、いいますが、
道教では、旧暦7月15日が地官大帝という神様の誕生日に
あたっているため、7月の一ヶ月間、恩赦が出て、
地獄の門が開かれることになっているのだそうです。
地獄に落ちた人々が、
この間だけ、この世に戻ることができます。
なお、この旧暦7月15日を道教では「中元」といいます。
「お中元」は、ここから来ています。
そして、日本。
明治からの新暦の採用によって、
お盆の行事の多くが、中国由来の7月から8月に移動したり、
地域によってはそうではなかったりしています。
お盆は、日本各地に様々な習俗、風習を生んでいます。
その最大のものが、「盆踊り」ではないでしょうか。
お盆が日本に伝わると、やがて、重要なイベントとして、
盆踊りが行事に加わりました。
その起源は、平安時代中期、僧空也がはじめた
踊り念仏であるといわれています。
鎌倉の夏の主役のひとつ、鶴岡八幡宮の池の蓮について
2010年07月29日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田英貴です。
木曜日は「雑学いろいろコラム」です。
夏は蓮の花が咲く季節です。
蓮の名所として、
鎌倉の鶴岡八幡宮の境内に入ってすぐのところにある池を
ご存知の方も多いことでしょう。
ここにはたくさんの蓮が咲きます。
ここに、夏の朝、散歩がてら蓮の花を見に行けるのは、
近くに住む私にとっての幸福です。
ところで、この池の名を「源平池」と言います。
本殿に向って右が源氏池です。
左が平家池です。
そのため、右の池には源氏の色である白の蓮が
植えられています。
左には、平氏の色である赤い蓮が植えられています。
それが本来なのだそうですが、
最近は紅白の蓮が混ざってしまっています。
左右できれいに分かれてはいません。
平家池など、白が優勢です。
「これでいいのか」と、言わんばかりに、
大きなスッポンが水面から鼻を突き出しています。
源氏池には島が三つあります。
三=さん=「産」ということで、源氏の発展を祈っています。
島のひとつには弁財天が祭られています。
平家池には島が四つあります。
四=し=「死」で、平家を封じ込めるのだそう。
そういった呪術的な意味合いを持たせていた、と、
いわれています。
しかし、実際にこの池や島が、
源平争乱の時代や
鎌倉時代に作られたものなのか、
そのあたりの証拠(文献)は、残っていないようです。
日本の花火と欧米の花火・その違い
2010年07月22日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田英貴です。
木曜日は「雑学いろいろコラム」です。
日本中で花火大会が開かれる季節になりました。
記録に確かな最も古い日本の花火大会は、
今も続く、東京、隅田川の花火大会なのだそうです。
話は享保18年(1733)にさかのぼります。
この前年、大飢饉で多くの死者が出たことを受けて、
幕府が慰霊を祈願し、水神祭を行ないました。
その際、隅田川にかかる両国橋周辺の料理屋に
花火の打ち上げを許したのがその始まりと言われています。
日本の打ち上げ花火は、皆さんご存知のとおり、
主に、空中で球状に広がります。
中国などアジアのものは、概ねこのかたちとのことです。
しかし、多くの欧米の花火は、球状にならないのだそう。
花火玉自体がお茶の缶を思わせる円筒状で、
缶の蓋や底が外れるようなかたちで中身が飛び出すため、
花火は垂れ下がるように広がるといいます。
一説には、
日本では花火を河川で打ち上げ、観客は様々な方向から
これを観賞していたため、どの位置からも花火が美しく見える
「球状」が喜ばれ、
一方、もともとは貴族が客などとともに居館の庭から
眺めるものだった欧米の花火の場合、
発光のかたちは「全方向向け」なものでなくともよかったのだ、
と、言われています。
ただ、このごろは、欧米の一部でも、
日本式の花火がつくられはじめていると聞かれます。
実際に最近、ヨーロッパなどで打ち上げ花火をご覧に
なられた方、いかがだったでしょうか?
欧米では、多数の花火を打ち上げながら、
音楽やライトアップなどを組み合わせて演出することが
多いそうです。
しかし、我々日本人は、適度な間隔で打ち上げられる花火を
じっくりと鑑賞し、花火師さんの繊細な職人芸を感じたりします。
生け花や、季節の花を愛でる感覚と、
近いものがあるのかもしれません。
なお、日本の打ち上げ花火がカラフルになったのは、
明治時代からです。
様々な色の元となる化学薬品が輸入されるようになったため、
「カラー化」が可能となりました。
それまでの花火の色は、
線香花火が燃えているときの
どこか心癒される、あの色が普通だったようです。
新技術によってカラー化してからのものを「洋火」、
従来からのものを「和火」と、言い分けることもあります。