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少林寺拳法と焼肉はメイド・イン・ジャパン
2010年05月06日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田英貴です。
木曜日は「編集長のよろずコラム」をお送りします。
今日は、
「外国のもののようで実は日本が発祥地」
というものについての話題です。
まず、「焼肉」です。
韓国料理の代表と思われがちですが、
発祥の地は日本です。
もちろん、基本として肉を焼くだけの料理ですから、
韓国にも似たものはありました。
カルビグイというものがやや似ていて、
またプルコギという料理は、
訳せばほぼ「焼肉」(直訳=火肉)です。
しかし、日本の焼肉の大きな特徴である、
・材料が肉の様々な部位にわたっていてとりわけ臓物が多い
・焼いた肉をタレにつけて食べる
この二つの条件が、カルビグイやプルコギでは大きく
異なっています。
現在の日本の「焼肉」は、戦後の食糧難の頃、
大阪の在日韓国・朝鮮人の間から生まれたものとの説が、
ほぼ間違いないようです。
日本が発祥の地、但し、発案は韓国・朝鮮人の皆さん、
と、いったところです。
次に、「少林寺拳法」です。
有名な嵩山少林寺というお寺が中国にありますので、
当然「少林寺拳法」はここで生まれたものかと思いきや、
始めたのは岡山県出身の日本人・宗道臣(そう・みちおみ)
という人です。
昭和22年、香川県多度津町に道場を開き、
「少林寺拳法」を広めました。
もっとも、中国の少林寺と何の関係もないわけではなく、
少林寺拳法公式サイトによれば、
「嵩山少林寺の流れを汲む文太宗老師の知遇を得て
その門に入り、各種の拳技を修得する」
と、なっています。
宗道臣は若い頃、中国に渡り武術を学びました。
嵩山少林寺を訪れたこともあります。
嵩山少林寺は、中国における武術文化の中心のひとつであり、
禅の祖である達磨がここで最初の弟子を得たという
伝説も残るお寺です。
そうしたことに敬意を表して、
「少林寺拳法」が命名されたものと思われます。
以上、異文化の出会いが新しい価値を生み出した好事例
ともいえるのではないでしょうか。
高齢者パワーの目立つ日本
2010年04月29日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田英貴です。
木曜日は「編集長のよろずコラム」をお送りします。
高齢化社会、
福祉の負担が増す――、などと、
報道などでは何やらお荷物扱い(?)とも聞き取れそうな
話を耳にすることも多い、高齢者世代。
それはいかがなものでしょうか。
こんな統計を見れば、
誤解が払拭されます。
総務省統計局発表の
世界の統計―「年齢階級別経済活動人口比率」。
各年齢別人口に占める、
経済活動人口(労働力人口)の割合です。
ある一定の年代の人々のうち、
働いている人、および求職中の人の数をパーセンテージで
表しています。
やや古い2007年の統計が最新のようですが、
国内だけでなく世界各国の数字があがっていますので、
日本の高齢者のパワーを
それらと見比べることができます。
数字を見てみましょう。
日本の65歳から69歳までにおける経済活動人口比率、
「36.7%」
同じく70歳以上、
「13.5%」
これを先進各国と比べてみます。
(65~69歳) (70歳~)
日本 36.7% 13.5%
アメリカ 29.7% 10.3%
イタリア 7.3% 1.6%
(65歳以上~)
カナダ 8.9%
ドイツ 3.6%
フランス 1.4%
先進国の中では、
日本の高齢者はもっとも多くの割合が働き
(あるいは働く意欲を持ち)、
経済活動に貢献しています。
但し、一応触れておかなければなりません。
高齢者の経済活動人口比率は、
一般的には開発途上国、新興工業国などで高くなる
傾向にあります。
たとえば、
ベネズエラ 40.8%(65~69歳)
20.4%(70歳~)
韓国 43.3%(65~69歳)
23.8%(70歳~)
とはいえ、
高福祉先進国であるノルウェーやスウェーデンなどでも、
高齢者が比較的活躍していることを示す数字が
上がっていますので、
「高齢者がよく働く=国が成熟していない」
と、考えるのは早計です。
ともあれ、いま私達の国は、先進国の中ではとりわけ
「高齢者に働く意欲とパワーが満ち溢れている国」
といえることには、まちがいがありません。
平均年齢約70歳で立ち上がった、
新党「たちあがれ日本」にも
高齢者のパワーを再確認させられました。
元気な先輩達に負けないよう、私も頑張ります。
子供の虐待。わたしたちにできることは?
2010年04月22日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田英貴です。
木曜日は「編集長のよろずコラム」をお送りします。
今日はちょっと真剣な話題です。
「児童虐待」。
この4文字を見聞きしない日が無いくらいの印象です。
厚生労働省の発表によると、
全国の児童相談所が対応した
平成20年度の児童虐待相談件数は42,662件。
(発表時速報値)
統計を取り始めた平成2年以降、18年連続で増加しています。
一日に120件近い相談が寄せられている計算ですが、
おそらくこれは氷山の一角でしょう。
児童相談所が察知できていない件数も含めると、
この数字の倍、あるいはもっと・・・。
おそろしい数字が頭に浮かんできます。
都道府県別の数字も公表されています。
首都圏の部分を見てみましょう。
東京都 3229件 前年度(19年度)より78件減
神奈川県 2523件 同じく844件増
千葉県 2339件 同じく723件増
埼玉県 2186件 同じく300件増
「減」は東京都だけです。
実はこの神奈川・千葉・埼玉の増加件数は、
全国のトップスリーなのです。
まさに私達の足元で、子育てが揺らいでいます。
以前、興味深い話を聞いたことがあります。
アメリカの霊長類研究施設でゴリラの母子を観察したところ、
母と子の二匹だけをオリに入れると、
母ゴリラは、なんと必ず子どもを虐待する。
ところが、
グループで生活させると、母ゴリラは母親らしく子供を可愛がる。
と、いうのです。
思い起こされるのは、
家族や親子がつねに孤立しがちな現代の私達の生活です。
深い示唆を感じさせられる話ではないでしょうか。
私達、賃貸住宅のオーナー・大家という存在が、
児童虐待という問題に対し、
微力ではあっても、何か出来ることがあるのかもしれません。
聖火にまつわる話題
2010年04月15日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田英貴です。
木曜日は「編集長のよろずコラム」をお送りします。
バンクーバーオリンピックにつづき、パラリンピックも
先月閉幕しました。
オリンピックでは銀3、銅2。金メダルは勝ち取ることが
できなかった日本ですが、
パラリンピックでは、
金3、銀3、銅5という好成績です。
前回トリノ大会のメダル9個を上回りました。
ところで、
今回のバンクーバーオリンピックでは、
「聖火」がよく話題になりました。
たとえば、
08年の北京オリンピックでは聖火リレーが各地で妨害に遭った
ため、今回はカナダ国内に限定となったこと。
にもかかわらず、その規模は史上空前と言われ、
4万5000キロの距離を1万2000人の聖火ランナーが走る
という壮大なものだったこと。
なお、1000を超える村や町を抜けるこのルートは、
「広大なカナダに暮らす人の9割が、
1時間車を運転するだけで聖火を見に行けるように」
との配慮から生まれたものなのだそうです。
ところが、ご記憶にあるでしょうか、
そのようにして大切に運ばれた聖火でしたが、
装置の不具合が起こり、
開会式では4本の柱で構成された聖火台のうちの一本が
立ち上がりませんでした。
世界中のメディアから散々に言われてしまった
この不手際ですが、
閉会式では失敗を逆手にとって、
ピエロが登場、
見えないロープを引っ張って残る一本を立ち上げるという
演出をほどこし、会場の拍手喝采を浴びました。
ところで、
近代オリンピックの象徴のひとつである聖火と聖火リレー
ですが、初めからあったわけではありません。
聖火は1928年のアムステルダムオリンピック、
聖火リレーは1936年のベルリンオリンピックが最初です。
俗に「ヒトラーのオリンピック」などとも呼ばれるのが、
この1936年のベルリンオリンピックです。
聖火リレーのルートとしてドイツ側が調査した
ヨーロッパ各国の道路データが、
のちに、第二次世界大戦の際、
軍事侵攻に生かされたとの説もあることで有名です。
ギネスブックのはじまり
2010年04月08日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田英貴です。
木曜日は「編集長のよろずコラム」をお送りします。
先週のこのコラムでは、有名なレストランガイドブック、
「ミシュランガイド」のはじまりについてお話ししましたが、
今週のお話は、ミシュランに負けずに世界中で知られている本、
「ギネスブック」のはじまりです。
ミシュランガイドが元々出版とは畑違いである
タイヤメーカーによって生み出されたものであるのと似て、
様々な世界記録を集めたこの「ギネスブック」も、
畑違いであるビール会社から生まれました。
そのきっかけは、1951年、
アイルランドのギネス醸造所の代表をしていた
サー・ヒュー・ビーバーと、その狩り仲間との議論でした。
「ヨーロッパでもっとも速く飛ぶ猟鳥(狩りの獲物である鳥)は、
どの種類か?」
この議論をもとに、サー・ヒュー・ビーバーは、
こうした疑問に答える本を出版すれば、
きっと皆も読みたがるにちがいないと考えたのです。
こうした話題で酒場が盛り上がれば、
ビールがもっと売れるかもしれないとも考えたことでしょう。
4年後の1955年、
世界中から「世界一」と認められる記録を集め、
「ザ・ギネス・ブック・オブ・レコーズ」
(現在は「ギネスワールドレコーズ」・通称ギネスブック)
の初版が世に出されました。
ちなみに現在、日本の東京タワーの中に、
様々なギネス記録を紹介する
「ギネス世界記録博物館」があります。
ここの名誉館長は、漫画家の故石ノ森章太郎先生です。
石ノ森先生は、
「ひとりの著者が描いた漫画の出版作品数世界一」
ということで、ギネス記録の認定を受けています。